【映画館で感じるお国柄】エンドロールにときめかない
エリア、学生生活、映画
18年6月19日
ひとひらの涙がじんわり。
映画が終わりました。
そして、ここからが、肝心だったりする。
エンドロールで立ち上がる人とはいいカップルになれない。みたいなジンクスを聞くこともありますよね。
エンドロールを凝視する理由は人それぞれかもしれません。
余韻に浸りたいから。暗闇で立ち上がるとクラっとしちゃうから。制作者たちに敬意を示したいから。音楽が好きだから。サプライズでまだ続きが流れるかもしれないし。
最後が流れ切るまでずっと座っている光景は、日本で当たり前に見られます。
このスタンスで、他の国へ行くと、ビックリします。
え、そんなすぐ立つ?!?!
もうこれは、本編が終わっても座り続ける自分がマヌケに思えてくる。
おまけに清掃員が入ってきてもう片付け作業をしちゃってる。自分は明らかに邪魔らしい。なんてことだろう、カルチャーショック。
実際、エンドロールには心に響く情報があるかというと、ほっとんどありません。(失礼なことをいう) 会場を出て一発目に、エンドロールの是非をしゃべりだしたら嫌われそうです。ときめきポイントが違いすぎるって。
それなのになぜ座り続けるのか。
礼儀、と呼んでしまうとしっくりくる。日本人的な精神にこびりついているのではないか。「ここまで見なきゃ、なんか悪い。」
日本のカルチャーに馴染みない人と映画を観に行って、あっという間に席を立たれても、それはすぐさまそっけなさを意味しない。 脳細胞のかたすみにメモっておきましょ。
空衣